ポンジスキームというとスポンジケーキ?って思っちゃいますけど、ねずみ講ときけばなじみがある方もいるんじゃないでしょうか
そのポンジスキームを作ったのがチャールズ・ポンジという人です。
どんな人物だったのか、なぜ詐欺に手を染めてしまったのか見ていきましょう
生い立ちと移民の背景
チャールズ・ポンジ、本名カルロ・ピエトロ・ジョヴァンニ・グリュエルモ・テバルド・ポンツィは、1882年3月3日にイタリア王国のルーゴで生まれました。
彼は若くしてアメリカン・ドリームを追い求め、1903年、21歳の時にアメリカへ移民しました。
ポンジの移民としてのスタートは、典型的な苦労話でした。ニューヨークのレストランで皿洗いやウェイターをしながら英語を学び、少しずつアメリカ社会に適応していきました。
しかし、彼の移民生活は順風満帆ではありませんでした。
レストランで働いていた際に、釣銭を誤魔化し逮捕されたこともあります。
この出来事が彼の犯罪者としての最初のステップでした。
カナダでの詐欺と逮捕
1907年、ポンジは新たなチャンスを求めてカナダのモントリオールに移り住み、名前をチャールズ・ビアンキと改めました。
彼は国際銀行で出納係見習いとして働き始めましたが、ここでも再び犯罪に手を染めました。
ポンジは顧客のサインを偽造し、小切手詐欺を行ったのです。
この詐欺が発覚し、ポンジは逮捕されました。三
年の刑期を終えた後、アメリカに戻るも、不法移民として拘束され、一年間の拘束を受けました。
アメリカでの再起と新たな詐欺
アメリカに戻ったポンジは、1918年に路面電車で出会ったローズ・ニェッコと結婚し、義父の食料品輸出入の事業を引き継ぎました。
しかし、この事業もうまくいかず、すぐに会社を潰してしまいました。
失敗続きのポンジでしたが、ここで彼の運命を変える一つの発見をします。
ポンジは、1907年に誕生した国際返信切手券の制度に目をつけました。
この制度を利用すれば、切手の交換レートと実際の外貨交換レートの差から利ざやを得ることができると考えたのです。
1919年12月、彼はボストンでセキュリティ・エクスチェンジ・カンパニー(SEC)という投資会社を立ち上げ、このアイデアを実現するために動き始めました。
ポンジ・スキームの成功と崩壊
ポンジの投資会社は瞬く間に成功を収めました。
彼は、投資家に対して「3ヶ月で投資金額が倍になる」という夢のような話を持ちかけ、多くの人々から資金を集めました。
ポンジは、集めた資金を実際に投資することなく、新しい投資家からの資金を既存の投資家への配当に回すという手口を用いました。
これが後に「ポンジ・スキーム」として知られる詐欺の手法です。
短期間でポンジは350万ドルもの巨額な資金を集めました。
彼の詐欺は成功し、一部の投資家たちは実際に利益を手にすることができました。
このため、ポンジの評判は高まり、多くの人々が彼に投資を託しました。
しかし、ポンジのスキームは持続可能なものではありませんでした。
彼の会社が実際には利益を生んでいないことが次第に明らかになり、1920年7月24日のボストンポスト紙の記事を皮切りに、ポンジに対する疑念が広がっていきました。
破滅とその後
1920年8月2日、国際返信切手券の取引の実態がないことが暴露され、ポンジの詐欺が明るみに出ました。
8月10日には警察により記録と帳簿が差し押さえられ、ポンジは破産を宣告されました。
この時点でのポンジの負債は500万ドルから1000万ドルにのぼり、彼の詐欺は完全に露見しました。
ポンジは詐欺罪で連邦刑務所に収容され、3年4ヶ月後にはマサチューセッツ州の州刑務所に移送され、さらに7年から9年の刑に服しました。
仮釈放となった後も、1934年にフロリダ州で不動産詐欺を働き、最終的にはアメリカ市民権を剥奪され、イタリアに強制送還されました。
その後、彼はブラジルに渡り、1949年1月18日にリオデジャネイロの慈善病院でその生涯を終えました。
なぜポンジは詐欺をするようになったのか
ポンジが詐欺に手を染めた理由は、いくつかの要因が考えられます。
まず第一に、彼の経済的な苦境があります。
移民としてアメリカに渡ったポンジは、最初から順調に成功を収めることができませんでした。
皿洗いやウエイターという低賃金の仕事で生計を立てる中で、彼は早く成功を収めたいという強い欲望を持つようになりました。
また、ポンジの性格的な側面も無視できません。
彼は非常に野心的で、人を説得する力に長けていました。彼の詐欺手法は、単なる金儲けだけでなく、彼自身のカリスマ性を駆使したものであり、多くの人々を引きつけることができました。
彼の詐欺は、単なる金銭的な欲望だけでなく、自己顕示欲や他人を操る快感から来るものだったのかもしれません。
さらに、彼が詐欺に成功し続けることで、自らの手法に対する過信が生まれたことも一因と考えられます。
最初は小規模な詐欺から始まりましたが、成功体験が積み重なることで、彼はより大胆な詐欺を行うようになりました。
彼の自信は次第に過剰となり、自らの行為の危険性を過小評価するようになったのです。
結論
チャールズ・ポンジは、その生涯を通じて詐欺師としての名を残しました。
彼の詐欺手法「ポンジ・スキーム」は、今日でも多くの詐欺事件で用いられる典型的な手法として知られています。
ポンジの生涯を振り返ることで、詐欺の持つ魅力と危険性、そしてその背後にある人間の欲望と弱さを再認識することができます。
ポンジの物語は、彼のような野心家がどのようにして犯罪に手を染め、最終的にその行為が破滅をもたらすかを示す、教訓的な事例として語り継がれています。
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